メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ZIKAウイルスのmRNAワクチン:小頭症が防げるか?

予想した通り、ZIKAウイルス(ZIKV)に対するmRNAワクチンの論文がCell最新号に上がってきた。

核酸ワクチンの利点については既に広く認識されている。Cell最新号にZIKVの感染防御抗原をコードする遺伝子をmRNAしたワクチンが、ワシントン大学(Washington University in St. Louis、通称Wash U)のMichael Diamondを中心とするグループから発表された。このグループはZIKVの実験感染ではトップグループの一つ。

 

核酸ワクチンの状況については一昨年本ブログの前身で紹介した。再度この核酸ワクチン、特にRNAワクチンの利点を私なりに整理しておく。

⒈ 短期間で作成できること

mRNAを発現するようなプラスミドベクターに対象とする遺伝子(cDNA)を組み込んでやる。これは一週間でできる。さらにこのプラスミドを鋳型にしてmRNAを酵素的に生産して精製する。これらの過程も定式化されている。これをナノ・パーティクルなどに取り込ませるだけである。

⒉ 物理科学的性質をコントロールしやすいこと

病原体が異なっていても体内に接種されるRNAとしての性質は共通だ。その取り扱いは一度マニュアル化すればその後は変更を加える必要はない。

⒊ 流行が起こったときに直ちに検定試験、安全性試験が行えること

現代のように次々と新しい感染症の流行が立ち現れるような状況では、いかにして流行にキャッチアップするかは大きな課題だ。ワクチンの大量投入を前にして流行が収束してしまうことはあり得る。実際先回(2,014ー2,015年)の西アフリカでのエボラ出血熱の流行に際しては、組み換え型生ワクチンが登場した。現地での効力試験ではこのワクチンは優れた防御効果を示した。しかしこのワクチンの試験開始がもう少し遅れたならば、流行の終息の時期に重なっていたのでワクチンの効力は不明のままで終わっていたと予想される。こうした意味で、新型病原体に対するワクチンの投入は常に急がれるのだ。核酸ワクチンは製造、検定に要する時間が短いのでこの点で大きなアドヴァンテージをもっている。

 

ZIKVに話を戻す。

ZIKVなどフラビウイルス一般についてはpre-membrane/membrane [prM/M]-envelope [E]と呼ばれる領域から作られるウイルス構造タンパク(外被タンパク)に対する抗体が、良好な感染防御能を持つことが知られている(注1)。さらにこの抗原をコードする遺伝子をmRNA上に乗せ、これから当該タンパクをマウスやサルの体内で発現させると良好な感染防御が成立することも知られている。[prM/M]-[E]については最近作られたZIKVワクチンでも感染防御効果が確認されている

しかしZIKVのRNAワクチンに関してはこれまでのところデータは公表されていない。既にZIKVのDNAワクチンについてはその有効性が昨年6月に公表されている(注2)。今回のCellの論文はmRNAワクチンである。この両者は何が違うのだろうか? 実はこの点について、今回の論文では十分な議論がなされていない。しかし後述のように既報のワクチンに比べるとより高い抗体価が得られている。結果オーライということか。

実験的感染防御から見たワクチンの効力に加え、この論文のもう一つの狙いはデング熱ウイルス(DENV)への交叉免疫を取り除くことであった(注3)。こうした交叉免疫は、ZIKVワクチン→DENV自然感染に際して、antibody-dependent enhancement of infection(ADE)と呼ばれる劇症型の感染を引き起こす可能性がある。ZIKVのmRNAからこの共通抗原を除去することによって、ワクチン接種を受けた人がDENVに感染した際に起こりうる問題を回避しようとするのだ。

 

こうした流れのもとに今回の研究が企画された。すなわち”効力”と”交叉免疫”だ。以下に内容を要約する。

 ⒈ IgEsig-prM-E LNP、10 ugをAG129マウスに筋肉注射すると、6週間後には中和抗体が血清中に産生された。初回免疫の3週間後に追加免疫した時の中和抗体価(EC50)は1/10,000であった。感染性ZIKVで攻撃してやると、すべてのマウスが生残した。対照群ワクチン(タンパク非産生性RNA-LNP)では100%死亡。ここで用いたAG129マウスはα-、およびγ-インターフェロン受容体を欠いたマウス系統だ(注4)。

⒉ 免疫的には完全なC57Bl/6系でも上と同様の結果が得られた(注5)。

⒊ DENVとの交叉免疫を引き起こすE-DII-FLと呼ばれる領域に4つのアミノ酸置換を導入することで、免疫原性を失わせる。この配列を持つIgEsig-prM-E LNPによりC57Bl/6マウスを免疫してやると、ZIKVの攻撃に際して良好な感染防御が成立した。このときの中和抗体価はEC50で1/5,000であった。

さらに免疫原性を上げてやるために、mRNAの先頭にあるシグナル配列をIgEのもの(IgEsig)から日本脳炎ウイルス(JEVsig)に交換した。これによって抗体価の上昇(EC50: 1/5,000→1/10,000)に成功した。

⒋ 上記の変異型E-DII-FL配列を持つmRNAワクチンによるADE惹起能を調べた。マウスで産生された抗体(血清)を感染性ウイルスと混合し、培養細胞(K562細胞)に加えた。その結果、変異型ワクチンで産生された抗体は培養細胞中での感染増強(ADE)を引き起こさなかった。野生型配列のワクチンではADEが観察された。

同様に、マウス体内でのADEも見られなかった。

 

以上のように、今回発表されたデータは誠に立派なものだ。しかし一般的にげっ歯類によるデータが良好であっても、いざヒトを対象としたときには効果が芳しくないような例は枚挙にいとまがない。この観点から霊長類のデータが待たれるところだ。

もう一つ、著者らが議論しているのは実際にこのワクチンが母体内で十分な抗体を誘導するかどうかである。”十分な”というのは胎盤への感染、および経胎盤感染を防げる抗体価ということになる。要するに小頭症が防げなければ意味がないわけだ。ここではその点に関する実験的検討はなされていない。今頃実験が行われているものと思われる。

さて核酸ワクチンの最大の障害はデリバリーだ。一般に複数の脂質を混ぜ合わせ、同時に核酸を加えてナノ粒子と呼ばれる巨大構造物を作成する。脂質のうちの少なくとも一つは核酸分子を抱えるために陽性荷電を持っているのが普通だ。既に類似の試みはsiRNAのデリバリーなどにも応用されていてかなりの蓄積がある(注6)。今回の結果を見る限りデリバリーについても有望であるようだ。

最後に大きな観点からまとめてみる。

ZIKVのワクチンについては既に複数のものが臨床試験に入っている。フラビウイルスについてはウイルスが違っていても[prM]-[E]が有効であることがわかっていたので、ZIKVについてもワクチン開発は比較的strainght-gowardであると考えられてきた。唯一DENVとの交叉免疫が潜在的な問題であったが、これも今回の試みで排除できそうである。

 

今回のタイトルに戻ろう。”小頭症は防げるか?”という問いである。それに対する答えは、妊娠マウスではじきに答えが出るだろう。そこまでのデータでおそらく臨床試験にゴーサインが出ると思われる。

 

(注1)これらにはデング熱、黄熱、ウェストナイル熱、日本脳炎、ダニ媒介性脳炎の各ウイルスが含まれる。

(注2)既にこのDNAワクチンを含む6種類のワクチンが臨床試験が開始されたが、まもなく開始される運びとなっている。当然今回のmRNAワクチンはこれ先行するワクチンと同等かそれ以上の効力を示さねばならない。

(注3)DENVには4つの血清型が存在する。ある一つの血清型のDENVに感染すると、抗体が生じてその同じ型のウイルスの再感染に際しては感染防御が成立する。しかし他の血清型のDENVが再び感染した場合には、激しい症状を呈するいわゆるデング出血熱となる。DENVとZIKVとの間には抗原的な類似性があり、このためZIKVの感染、またはワクチンによって上昇した抗体のせいで、その患者が後にDENVに感染した際に上述したようなデング出血熱を引き起こす可能性が捨てきれていない。しかしZIKVとDENVとの間の交叉免疫に起因すると思われる事例が、実際に起こっていることを示す疫学的証拠は今のところ存在しない。

ZIKVとDENVはともにネッタイシマカAedes aegypti)により媒介される。そのため熱帯地方でこの両者が相前後して同一個人に感染する可能性は高く、この他のウイルス群では見られないような不足の事態に備えておく必要がある。

(注4)LNPはlipid nanoparticleの略で、複数の脂質と核酸を混合することで作ることができる。この脂質には陽性荷電を持ったものを入れておく。それにより核酸分子をトラップするのだ。今回のLNPは80−100 nmのサイズとなっている。

マウスへのZIKVの感染実験はインターフェロン系を欠損している系統で感染が成立しやすいことが知られている

(注5)この場合でも感染を容易にするために抗インターフェロン受容体抗体を感染直前に腹腔内に投与されている。

(注6)今回用いられたLNPは既にsiRNAでの有効性が確認されている。慢性疾患のsiRNAに基づいた治療薬についても大きな進展が見られる。これについても近々紹介したい。

 

追記 3/8/17

追いかけるようにして最新号のネイチャーに同様の内容の論文が出された(Drew Weissmanグループ、University Pennsylvania)。しかしこちらの方はマウスに加えてアカゲザルRhesus macaque)への感染防御能も確認している。この点でよりヒトに近づいたと言える。但し、こちらの論文ではDENVとの交叉免疫の問題は考慮されていない。

何れにしても、これらワクチンの経胎盤感染と小頭症の防御能につては不明だ。サルへのワクチン接種に際しては50 ug RNAの一回接種で十分な効果を示しているので、ヒトに対しても100−200 ug程度の接種で効果が出るものと推定される。1、000人分としても100−200 mgが必要で、とりあえずこれは必ずしも莫大な量ではない。

もう一つ付け加えると、ZIKVワクチンに関しては当初から科学的見地からはさほどの困難は予想されていなかったが、そのとおりになっている。現在治験に乗っているものと、これから上がってくる候補のうちから実用化されるであろう。

ヒト胚エディティングへの”黄信号”

米国科学アカデミー(National Academy of Sciences)と米国医学研究所(National Academy of Medicine)は、後の世代に伝わるようなゲノムエディティングについて、将来的には認めるという結論を出した。2,015年の暮れに召集された2,015ワシントンサミットの討論を受けて、アカデミーが作った21名からなる委員会が議論を続けてきた。これは研究者、生命倫理専門家、法律家、患者団体、バイオテク起業家などで構成されている。報告書は計261ページに上る。

NPRの報道では、"Scientific panel says editing heritable human genes could be OK in the future"とやや楽観的な見出しが、しかし一方サイエンス誌の記事では"A yellow light for embryo editing"とかなりネガティブな見出しがついている。

要約すると、生殖細胞系列(germ-line)でのエディティングは他に代替治療がない場合に限り、重篤な疾患または障害が予想される場合に限って許容される。但し、実施される前にさらに有効性と安全性を確認するための数多くの基礎研究が必要であるとする。さらに厳格な事前審査をパスする必要がある。

これを”できる”と解釈するか”できない”と解釈するかは人によって感じ方が異なるであろう。

ともあれいわゆるデザイナーベビーのような機能を”増強する”方向でのエディティングを禁ずるということで、研究サークルは概ねこれを歓迎する論調である。一方”治療”と”増強”の境界が曖昧なケースも想定される考える研究者もいる。例として筋ジストロフィーを挙げている。

今回委員会が列挙したエディティングの実施のための条件は以下の通り。

⒈ 重篤な疾患または障害で、代替治療のないこと。

⒉ 当該遺伝子(の変異)が疾患の原因であることへの十分な証拠があること。

⒊ エディティングによる配列変更が機能回復のみを企図していること。

⒋ エディティングのリスクと有益性が十分に研究されていること。

⒌ 実施対象者の健康状態と安全性に関する継続的かつ厳格な審査が行われること、および長期的、複数世代に亘る追跡調査に関する包括的プランが存在すること。

⒍ 患者のプライバシーを保ちつつ最大限の情報透明性が保たれること、および継続的な健康状態、社会的利益とリスクの評価が行われること。

⒎ 操作が病気治療以外の目的以外への拡大を防ぐための審査メカニズムが存在すること。

 

なお現時点ではFDAがヒト胚の遺伝的改変が意図的に行われるような研究計画を審査することは禁止されている。また同様な研究への連邦政府機関からの研究資金の交付も禁止されている。

以上から、現時点ではヒトのgerm-lineを対象としたエディティングそのものは実質的にはできない。その前提としての効率や安全性を得るためのデータを蓄積することが要求されている。一方で、規制当局と各医療、研究機関での法的、制度的整備とガイドラインの策定が急がれる。

Gene driveの無力化

Gene driveはエディティングから派生した技術で、その遺伝子を持った個体から生まれた仔の全て(100%)が導入された遺伝子を持つようにデザインされた方法だ。その概略は以前本ブログで模式図とともに概説した。これはわずか一年ちょっと前のことだ。

私はそのときジーン・ドライブのことを”最終兵器”と呼んだ。しかし最終兵器にも耐性虫が出てくるようだ。ネイチャー2月2日号にイタリアに本拠を置く非営利団体Target Malaria(注1)にあるハマダラカ(Anopheles gambiae =マラリアの媒介カの中で最重要な種)の飼育施設で耐性のカが出現していることがわかった。

主な耐性獲得機構は、CRISPR/Cas9によって当該アレルが切断された後にその箇所に幾つかのヌクレオチドが挿入され、そのことにより元の配列配列とは異なったものができるので、CRISPR/Cas9でもはや切断されなくなるというものだ。

もうひとつの問題は野外で捕獲したハマダラカの著しい遺伝的多様性だ。このためCRISPR/Cas9によるターゲティングが一部のカにしか効果がないというものだ。こうした問題を解決するために、研究者は同時に複数の遺伝子を標的にする、ないしは一つの遺伝子内の複数の箇所を標的にする方法を考えている。これは抗がん剤の併用療法に見られるように、一般的に複数の標的に作用するやり方は耐性の出現を抑制することができる。

もう一つの手は多数の野外のカの個体についてそのゲノム配列を調べて、可能な限り広い範囲で共通の配列を見出して、それを標的にしようとするものだ。これはいずれも理にかなったやり方だ。さらにこの記事では詳細が記載されていないが、次世代のジーン・ドライブを投入することも検討されているという。

前回も書いたように、ジーン・ドライブに対する懸念の最大のものは、放出した改変型のカが野外で野生型に完全に置き換わってしまうこと、さらにこれらによって予期せぬ出来事が起こってしまうことであった。”ジュラシック・パーク”に描かれているような不測の事態のことだが、、。

しかし現在研究者たちは、ジーン・ドライブはただ単に効果が発揮できないのではないか、要するにハズレの技術ではないかと危惧するようになっている。

今回話題にした方法は改変型昆虫放飼法に含まれる。この方法には別の大きな問題があることも指摘しておきたい。今回Target Malariaが対象にしているカはA. gambiaeだが、この組織は他の二種のカについても同様の手法で駆除しようとしている。問題の一つは、アフリカのような大陸でこのような手法が有効である保証が全くないことだ。この点についても前回の記事で指摘した。さらにマラリアを媒介するカは全部で60種程度存在することが強く推定されている。ある地域で駆除に成功したと思っても、すぐに周辺から同じ種、あるいは異なる種の侵入を許すのではないかという可能性がある。

 

(注1)この団体は大学をベースに、ジーン・ドライブで作出された改変型のカを大量に生産し、アフリカの三ヶ国(ウガンダ、マリ、ブルキナファソ)で野外試験を行うことを計画している。ビル・ゲイツ財団を始めとする多数の欧米の団体が援助している。

ヒト-有蹄類キメラの作出:最初の試みの中身と背景

昨年移植用臓器のソースとしてヒト-有蹄類のキメラの可能性を探るような研究が計画されていることを書いた。昨年夏こうした研究に対する米連邦政府機関からの研究補助金の交付にゴーサインが出た。

 

先月のセルにこの流れの仕事では初めての論文が出た。タイトルは "Interspecies Chimerism with Mammalian Pluripotent Stem Cells"。ヒト細胞と有蹄類細胞による異種間キメラ作成に関する内容で、主にマドリードの複数の研究機関が主導した研究だ。論文に付随する記載から研究組織、資金源に関する情報もある程度は読み取れる。こうした意味でもこの論文はたいへん興味深い。この論文はたくさんのメディアに取り上げられているが、一例としてBBCのものを挙げておく。以下の私の紹介とは異なる視点での議論がなされているので参照されたい。

以下、この論文の内容の要約。

ラット→マウスのキメラ

既にげっ歯類どうしの異種間キメラの研究は進められているが、この論文でも最初の部分ではラット−マウス間でのキメラ形成のデータが出されている。それらの要約は以下のとおり。

⒈ ラットESC(胚性幹細胞)、iPCSはいずれもマウス胚盤胞に注入するとキメラができる。異なる四つの細胞株でいずれも移入細胞が約20%の割合でキメラができた。

⒉ ラットは胆嚢を持たない動物種だが、注入されたラット細胞からマウス体内で胆嚢が形成された(注1)。ラット幹細胞自体に胆嚢を作る能力が無いのではないことが示された。著者らの言葉では胆嚢形成はそのためのニッチがあれば良いということになる。

⒊ CRISPR-Cas9を用いた種間相補システムによる器官レスキュー

様々な器官についてそれらが正常に発生するために必要な遺伝子が同定されている。このような遺伝子を欠損させると器官形成不全でマウスは致死となる。こうしたマウスにラットのPSC(pluripotent stem cell)細胞で相補することにより個体を生存させるシステムを試みた。CRISPR-Cas9を受精卵に注入し器官形成に必要な遺伝子を欠損させた上で、胚盤胞に進んだ段階でラットのPSCを注入する。

この方法で試した遺伝子は、Pdx1膵臓)、Nkx2.5(心臓形成)、Pax6(目、鼻腔、嗅脳その他の形成)で、これらすべての遺伝子でレスキューが成立した。但しこのうち成個体が生存するまでのレスキューが認められたのはPdx1のみ。

マウス→ブタ、ラット→ブタのキメラ

げっ歯類のナイーブPSCが非げっ歯類動物とキメラを作れるかどうかは知られていなかった。マウスiPSCまたはラットESCをブタ胚盤胞(blastocysts)に注入した上で代理親(偽妊娠)ブタの子宮内に移植した。これを胎齢21−28日のタイミングで取り出して胎児の生育とキメラ形成の有無を調べたところ、いずれの場合もキメラ形成は確認できなかった。のみならず約半数の胎児では生育遅延が認められた。

少なくとも今回の条件ではマウス、ラットのPSCからはブタとのキメラはできなかった。

ヒト→ブタ、ヒト→ウシのキメラ :内部細胞塊への参入(着床前キメラ)

次いでいよいよ有蹄類を土台にしたヒト細胞の異種キメラの試みだ。ヒトのiPSC(hiPSC)をブタなどの有蹄類の胚盤胞に導入するわけだ(注2)。これにより有蹄類の体内でヒト臓器を作らせるための基礎データを得ようとする(注2)。

この目的のために線維芽細胞に由来するヒトのiPSCを5種類得た(注3)。これらはナイーブPSC、プライムドPSC、それにそれらの中間の性状のものであった。これらのiPSCをブタ、またはウシの胚盤胞に注入した(注4)。注入したヒト細胞が胚盤胞の宿主の内部細胞塊(ICM)に合流し、ホストのエピブラストと共存するかどうかを見ようとするのだ。エピブラストは後に胎児の全て部位になる細胞群である。

ウシ胚盤胞へhiPSCsを注入した2日後にヒト細胞が存在するかどうか、すなわちキメラになっているかどうかを分析した。その結果、ナイーブPSCと中間型PSCからはICM内でのキメラが形成されたが、プライムドPSCからは作られなかった。これらのキメラ内のヒト細胞は未分化細胞のマーカーであるSOX2を高い率(70−90%)で発現していた。この段階のICMは概ね未分化なので、これは良い兆候だ。

ヒト→ブタのキメラ :着床後のキメラ維持能

上の実験で着床前のキメラ形成能が確認された4種類のhiPSCについて、長期間のキメラ維持能を調べた。これが本当にやりたいことだ。上と同様の方法で培養hiPSCsを胚盤胞に注入した後、代理母ブタの子宮内に移植する。21−28日齢の胎児を取り出して、ヒト細胞の存在を調べる。このような流れである。

実に膨大な量の実験をこなしていることがわかる。計41頭の代理ブタが各々30−50の胚を移植された。一つの胚盤胞は10個のhiPSCを注入されている。これに用いられた胚は計2,075個だ。41頭中妊娠が成立したのはわずか18頭であった。胎齢21−28日に回収されたのは186胎児であった。したがって移植された胚のうち着床が成立したのは10%に満たない(注5)。

着床率そのものではなく、キメラの形成率はより重要である。着床した胎児のほぼ半数が生育遅延を示し、サイズが小さかった。正常サイズの99胎児中17胎児ではSOX2の発現が認められた。一方小さい87胎児中50胎児がSOX2陽性であった。SOX2は多分化能のマーカーである。

一方特異的マーカーによる免疫染色により、ナイーブなhiPSCからは各細胞系統の分化がうまくいっていないことがわかった。一方中間型からは種々の細胞系統の分化が起こっていた。前述の通り、プライムド型からはキメラそのものが形成されていない。

 

以上をひとことでまとめると、ヒトのPSCsをブタ胚に注入してブタ子宮に移植すると、少なくとも着床後もキメラを維持している。これらキメラのヒト細胞は幾つかの分化マーカーを発現している。

しかしこれがラット→マウスの膵臓のように、器官全体を作れるかどうかは今回の結果からは結論することはできなかった。

こういうことだと思う。

本研究の含意

繰り返すが、この論文はヒトの幹細胞を有蹄類の胚に注入し、さらにそれを子宮に移植してキメラを生育させた最初の仕事である。しかし著者らの考察では、そのこと自体を喧伝しているわけではない。むしろ複数のパラグラフを使ってラット→マウスキメラについてこれまで得らている知見と比較して細部の考察を加えている。

ヒト臓器の供給源としては主にブタやヤギが考えられている。これは主に臓器のサイズが近いことが理由である。しかし一方妊娠期間も相当に異なる。これは胎児発生のスピードの違いを反映しているので、あまりにサイズの違った動物同士ではキメラ形成がうまくゆかない可能性が考えられていた。実際のデータはこれを裏付けるもので、マウスまたはラットとブタのキメラの作成はできなかったが、一方ヒトとブタのキメラは作成可能であった。そうしたキメラ形成のしやすさは種どうしの系統的近さを反映しているのだろうと述べている。

いずれにしても、おそらく臓器移植のための異種間キメラが実現するとしたら、ブタがその宿主として用いられることになるのだろう。 しかし今回のデータを素直に読むと、移植用臓器の供給源としてこのヒト→ブタキメラを用いるアイデアの実現にはまだまだ道遠しと言わざるを得ない。

研究組織、研究資金

この野心的、かつ大規模(著者37名)な研究プロジェクトがどのようにして実施されたかについて知っておく必要がある。といっても現実的には論文の最後に載っているAuthor contributions(著者の役割)とAcknowledgments(謝辞)の記載から読み取るしかないが。

既に冒頭に書いたように、米国ではヒト細胞を含んだ異種キメラの作成には政府機関から研究補助金の交付が凍結されていた。これが解除されたのは昨年(2,016年)夏である。この論文が投稿された日付をみると、2,016年の2月である。ということは、NIHなど連邦政府の補助がない状態で行われたとみられる。

有蹄類とは要するに家畜だが、これらの研究は畜産学領域でなされている。この研究にもカリフルニア大学デイヴィス校(UCD)の畜産学(Animal Science)のグループが加わっている。Author contributionsにはこのUCDの人々がブタとウシの実験を実施していることが明記されている。一部の細胞培養はマドリードで行われている。全体の研究デザインとヒト細胞の培養は主にソーク研カルフォルニア)で行われたようだ(注6)。

この論文で家畜の実験が行われたソーク研とUCDの研究者への研究補助金を謝辞の記載から拾い上げると、米連邦政府のグラントは記載されていない。そのかわり複数の民間財団からの資金が出ている。私自身はこれらの財団の性質については今のところ把握していないが、ここに大きな問題がある。米国ではNIHなどの政府グラントがなくても独自に資金とポジションを確保すればいかなる研究も”法的には”可能なのだ。

 

(注1)胆嚢を持たない哺乳動物は他にも存在する。例を挙げるとウマがそれにあたる。胆嚢は不規則な摂食行動と関わっているとされる。たまにありついた獲物を消化するために胆汁を一時的に消化管内に放出することが必要だ。その貯蔵場所として胆嚢ができたというわけだ。ウマのように常に草を食べているような動物種には胆嚢は必要ないという解釈である。私自身も胆嚢を摘除しているが、日常生活には全く支障がない。どうやら現代人的生活様式にも胆嚢は不要であるらしい。

(注2)逆の実験(ブタ、ウシ→ヒト胚盤胞)はヒト子宮内に胚移植することが含まれているので人体事件そのものだ。これは到底実施不可能であるし、実施するメリット(目的)が存在しない。

(注3)このヒトPSCの作り方は実験方法のキモの部分だが、残念ながら私は十分に評価できるだけの知識を持ち合わせていない。興味のある方は原文に当たっていただきたい。

(注4)ブタの場合、人工授精(IVF)を行うと多精などの問題が頻繁に起こるので、電場をかけてやることにより単為生殖(parthenogenesis)を開始させてやる。これで胚盤胞を得ている。ウシの胚盤胞IVFにて得られたものを用いている。この際透明帯(zona pellucida)をレーザーによって除去することで胚盤胞の生残性を向上させている。受精後7日後にhiPSCを注入している。

(注5)このような妊娠成立率はブタ一般でどの程度かは元資料に当たっていないのでここでは評価できない。全体のプロセスにおける各ステップの効率は移植用臓器の供給時には大きな問題となるであろう。

(注6)ソーク研の日本人も複数含まれているが、基本的にこの研究グループはスペイン語話者を基本にした人的組織だ。世界的にこうした言語を媒介とした共同研究が盛んに行われている。この点日本は少々不利である。

H7N9、スペイン風邪(1,918年)以来の脅威? 

タイトルがやや刺激的だが、もう一つの新型トリインフルエンザのことだ。

野鳥の渡りのためトリインフルエンザウイルスが伝搬されることを書いた。温帯地方からウイルスが北極圏に北上し、さらにそこから別の温帯地方にウイルスが南下するという形をとる。しかし最近問題とされていたトリウイルスはA/H5N8であった。

ウイルス学者達はこのH5N8型によるヒトのインフルエンザの流行を警戒していたわけだが、前の記事でも書いたが鳥の世界にはありとあらゆるインフルエンザウイルスが存在している。最近中国で大きな問題となっているのはH7N9型によるヒトの感染だ。この型のウイルスが初めて確認されたのは2,013年であったが、最近になって中国でヒトの感染が急増している。1月16日現在、918例がH7N9によるものであることが確認され、そのうち359人が死亡している。きわめて高い致死率である。

これまで家禽の発症例としてはH5N8やH5N6の方がより大きな問題であった。中国では生きた家禽が市場で売買されて各家庭に持ち帰られるが、この習慣がトリのウイルスのヒトへの感染を促進している。今回問題となったH7N9のヒトへの感染も、その他の新型ウイルスの流行と同様、生きた家禽の市場に由来している。既にヒト-ヒト感染が疑われるような感染クラスターが認められるが、今のところその確たる証拠は得られていない。WHO北京事務所によると、これまでのところヒトへの病原性を与えるようなウイルスの遺伝的変異も認められないという。

H7N9はトリにはたいした病原性を示さないが、ヒトには重篤な症状を引き起こす。過去に同様のパターンを示したインフルエンザは1,918年のスペイン風邪(H1N1)のみであるという。このときは世界中で0.5~1億人が死亡している。

このスペン風邪パンデミーは、第一次大戦の戦地での不良な衛生状態と、大量の兵員が大西洋を往復することによって促進されている。このとき世界中の人々はこのウイルスに対する免疫を持っていなかったのだ。現在感染が拡大しているH7N9についても世界中の人々は免疫を持っていない。さらに現在人々の移動は量的、速度的に100年前とは比較にならないほど拡大している。ヒト-ヒト感染能を獲得するような変異が起こったらひとたまりもない。

要警戒だろう。

各国のGM事情

GM遺伝子組み換え)作物(動物)が安全であるためにはどこまでの証拠が必要か?

"Genetic divide"という小さな囲み記事がサイエンス2月10日号に出ている。これはすごく大雑把だがGMOに対する各国の考え方がまとめられていてとても良い。

最初に冒頭の問いに対する答えは、どこに住んでいるか? およびそれが何かによって扱いが違うとする。国によって規制が全く違うということ、それと”食用かどうか”によって規制がかわるということだ。この記事をさらに表にまとめて下に示す。

 

        非食用    食用       

米国      OK     OK

カナダ     OK     OK

中国      OK     OK

インド     OK     ダメ

欧州      ダメ     ダメ

 

米国では綿花、大豆、セイヨウアブラナ(canola)はほぼすべてがGM。加工食品では全体の60-75%がGMを含んでいる。生産者、政府、消費者は概ねGMの安全性を受け入れている。中国は米国とほぼ同等の基準を適用しようとしている。

欧州28カ国は事実上の停止状態(moratorium)となっている。そのうち約3分の2の国々が法的禁止措置を検討中だ。

インドでは全体的には欧州と似たような状況にある。但し、GM綿花はすでに大規模に栽培されている。食用作物の導入に当たっては強い抵抗がある。

この記事では世界の主要農業生産国のみの状況を述べている。さて日本は? 日本は生産、消費とも世界の主要プレーヤーとして認められていないので記事では言及されていないが、GMの安全性は公式には認められれている。しかし反対派による世論形成、あるいは消費者の抵抗感のために国内では栽培されていない。さらには生産者自身がGMを避けようとしている。実際にはGMOから作られた加工食品の多くが輸入されている。

インド、中国のような人口大国ではGM抜きの食料調達には限界があると考えているのだろう。インドでは綿花については既に90%がGMだが、食用作物については2,010年にBt brinjal(殺虫毒素産生能を組み込んだ現地の小型のナス(注1))の認可が頓挫していた。これについては近い将来認可される見込みは立っていない。

昨年GMカラシナBrassica juncea)の安全性試験の結果が揃い、いよいよインドでも食用のGM作物の栽培をスタートさせようとしているが、これもすんなりとは進んでいない。 

 

(注1)熱帯地域でのBt brinjalをめぐる状況についてはしばらく前に書いた

 

グリズリーはなぜ列車にはねられるのか?

NBAメンフィス・グリズリーズMemphis Grizzlies)はなぜグリズリーズなのか? テネシー州西部は平原でグリズリーはいない。答えは簡単で、元のバンクーバー・グリズリーズが移転してきたからだ。今のグリズリーズはそこそこ強いチームだが、カナダ時代の成績はひどいもので、計6シーズンで年間最高勝率は.280!!(だから移転したのだが。)

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グリズリー(grizzly bear、和名はハイイログマ)は北米ロッキー山脈に広く生息する大型動物で、ヒグマの亜種。グリズリーは米国、カナダ両国で保護されているが、カナダでは国立公園内の鉄道線路に出没し、ここ20年間で列車にはねられて死亡する個体が増加していることが問題となっていた。

サイエンス最新号の記事"Why are grizzlies dying on Canada's railway tracks?"はこの原因を追求した話である(注1)。それによると、バンフ国立公園(注2)では2,000年以降17頭のグリズリーが列車にはねられて死んだ。この地域のグリズリーの総数は約60頭なので、この数は無視できない。アルバータ大学の研究者がこの急激な列車事故の増加の理由を追求した。このための費用として鉄道会社が約100万カナダドル(約8,700万円)を負担して、調査は2,012年から2,017年にかけて実施された。

具体的には、線路のカーブや地形のグリズリーの危険認知への影響、さらには各個体の行動をGPSによって追跡することなどが行われた。その結果、わずか6頭が恒常的に線路内に出没していることが判明した。どうやら線路はこの6頭のテリトリーになっているようである。さらに重要なことは、多くの事故がひとつのS字カーブの西側出口で起こっていることがわかった。

さらにトランスカナダハイウエイを跨ぐ野生動物用の陸橋(woldlife overpass)の整備によって、グリズリーが鉄道線路まで行動範囲を拡大したことなども要因として考えられた。カナダの国立公園では高速道路の両側は柵で仕切られていて、野生動物は侵入できない。しかしそれを跨ぐ、あるいは潜るようにして野生動物用の通路が設けられている。下の写真は私が2,013年にバンフ国立公園に行ったときに撮影したものだ。

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(高速沿いに柵が延々と続く。遠景が雄大だ。)

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(数キロおきに橋がかかっている。この上を野生動物が通る。だから高速道路の方が囲われている。)

 

さて研究者らは、グリズリーを線路に誘い出す真犯人を”貨物列車から漏れ落ちる小麦”であると考えている。彼らはこの国立公園内で年間110トンもの穀物が列車から撒かれ、これは50頭もの成グリズリーを養うに十分な量であると見積もる。

これらすべての状況から、研究者らは線路の改善、グリズリーへの警告装置の設置、穀物の脱落の防止、線路を柵で囲うこと、などの改善策を提言している。

 

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(バンフのホテルの土産物売り場。グリズリーが一番人気。)

 

(注1)論文はAnimal Conservationに掲載されているというが、今のところ該当する論文は見当たらない。

(注2)バンフ国立公園はカナダで最初の国立公園。新婚旅行のメッカとして日本では有名だが、最寄り空港はカルガリー国際空港。