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メンフィスにて

主に生命科学と社会について考える

ヒト-有蹄類キメラの作出:最初の試みの中身と背景

昨年移植用臓器のソースとしてヒト-有蹄類のキメラの可能性を探るような研究が計画されていることを書いた。昨年夏こうした研究に対する米連邦政府機関からの研究補助金の交付にゴーサインが出た。

 

先月のセルにこの流れの仕事では初めての論文が出た。タイトルは "Interspecies Chimerism with Mammalian Pluripotent Stem Cells"。ヒト細胞と有蹄類細胞による異種間キメラ作成に関する内容で、主にマドリードの複数の研究機関が主導した研究だ。論文に付随する記載から研究組織、資金源に関する情報もある程度は読み取れる。こうした意味でもこの論文はたいへん興味深い。この論文はたくさんのメディアに取り上げられているが、一例としてBBCのものを挙げておく。以下の私の紹介とは異なる視点での議論がなされているので参照されたい。

以下、この論文の内容の要約。

ラット→マウスのキメラ

既にげっ歯類どうしの異種間キメラの研究は進められているが、この論文でも最初の部分ではラット−マウス間でのキメラ形成のデータが出されている。それらの要約は以下のとおり。

⒈ ラットESC(胚性幹細胞)、iPCSはいずれもマウス胚盤胞に注入するとキメラができる。異なる四つの細胞株でいずれも移入細胞が約20%の割合でキメラができた。

⒉ ラットは胆嚢を持たない動物種だが、注入されたラット細胞からマウス体内で胆嚢が形成された(注1)。ラット幹細胞自体に胆嚢を作る能力が無いのではないことが示された。著者らの言葉では胆嚢形成はそのためのニッチがあれば良いということになる。

⒊ CRISPR-Cas9を用いた種間相補システムによる器官レスキュー

様々な器官についてそれらが正常に発生するために必要な遺伝子が同定されている。このような遺伝子を欠損させると器官形成不全でマウスは致死となる。こうしたマウスにラットのPSC(pluripotent stem cell)細胞で相補することにより個体を生存させるシステムを試みた。CRISPR-Cas9を受精卵に注入し器官形成に必要な遺伝子を欠損させた上で、胚盤胞に進んだ段階でラットのPSCを注入する。

この方法で試した遺伝子は、Pdx1膵臓)、Nkx2.5(心臓形成)、Pax6(目、鼻腔、嗅脳その他の形成)で、これらすべての遺伝子でレスキューが成立した。但しこのうち成個体が生存するまでのレスキューが認められたのはPdx1のみ。

マウス→ブタ、ラット→ブタのキメラ

げっ歯類のナイーブPSCが非げっ歯類動物とキメラを作れるかどうかは知られていなかった。マウスiPSCまたはラットESCをブタ胚盤胞(blastocysts)に注入した上で代理親(偽妊娠)ブタの子宮内に移植した。これを胎齢21−28日のタイミングで取り出して胎児の生育とキメラ形成の有無を調べたところ、いずれの場合もキメラ形成は確認できなかった。のみならず約半数の胎児では生育遅延が認められた。

少なくとも今回の条件ではマウス、ラットのPSCからはブタとのキメラはできなかった。

ヒト→ブタ、ヒト→ウシのキメラ :内部細胞塊への参入(着床前キメラ)

次いでいよいよ有蹄類を土台にしたヒト細胞の異種キメラの試みだ。ヒトのiPSC(hiPSC)をブタなどの有蹄類の胚盤胞に導入するわけだ(注2)。これにより有蹄類の体内でヒト臓器を作らせるための基礎データを得ようとする(注2)。

この目的のために線維芽細胞に由来するヒトのiPSCを5種類得た(注3)。これらはナイーブPSC、プライムドPSC、それにそれらの中間の性状のものであった。これらのiPSCをブタ、またはウシの胚盤胞に注入した(注4)。注入したヒト細胞が胚盤胞の宿主の内部細胞塊(ICM)に合流し、ホストのエピブラストと共存するかどうかを見ようとするのだ。エピブラストは後に胎児の全て部位になる細胞群である。

ウシ胚盤胞へhiPSCsを注入した2日後にヒト細胞が存在するかどうか、すなわちキメラになっているかどうかを分析した。その結果、ナイーブPSCと中間型PSCからはICM内でのキメラが形成されたが、プライムドPSCからは作られなかった。これらのキメラ内のヒト細胞は未分化細胞のマーカーであるSOX2を高い率(70−90%)で発現していた。この段階のICMは概ね未分化なので、これは良い兆候だ。

ヒト→ブタのキメラ :着床後のキメラ維持能

上の実験で着床前のキメラ形成能が確認された4種類のhiPSCについて、長期間のキメラ維持能を調べた。これが本当にやりたいことだ。上と同様の方法で培養hiPSCsを胚盤胞に注入した後、代理母ブタの子宮内に移植する。21−28日齢の胎児を取り出して、ヒト細胞の存在を調べる。このような流れである。

実に膨大な量の実験をこなしていることがわかる。計41頭の代理ブタが各々30−50の胚を移植された。一つの胚盤胞は10個のhiPSCを注入されている。これに用いられた胚は計2,075個だ。41頭中妊娠が成立したのはわずか18頭であった。胎齢21−28日に回収されたのは186胎児であった。したがって移植された胚のうち着床が成立したのは10%に満たない(注5)。

着床率そのものではなく、キメラの形成率はより重要である。着床した胎児のほぼ半数が生育遅延を示し、サイズが小さかった。正常サイズの99胎児中17胎児ではSOX2の発現が認められた。一方小さい87胎児中50胎児がSOX2陽性であった。SOX2は多分化能のマーカーである。

一方特異的マーカーによる免疫染色により、ナイーブなhiPSCからは各細胞系統の分化がうまくいっていないことがわかった。一方中間型からは種々の細胞系統の分化が起こっていた。前述の通り、プライムド型からはキメラそのものが形成されていない。

 

以上をひとことでまとめると、ヒトのPSCsをブタ胚に注入してブタ子宮に移植すると、少なくとも着床後もキメラを維持している。これらキメラのヒト細胞は幾つかの分化マーカーを発現している。

しかしこれがラット→マウスの膵臓のように、器官全体を作れるかどうかは今回の結果からは結論することはできなかった。

こういうことだと思う。

本研究の含意

繰り返すが、この論文はヒトの幹細胞を有蹄類の胚に注入し、さらにそれを子宮に移植してキメラを生育させた最初の仕事である。しかし著者らの考察では、そのこと自体を喧伝しているわけではない。むしろ複数のパラグラフを使ってラット→マウスキメラについてこれまで得らている知見と比較して細部の考察を加えている。

ヒト臓器の供給源としては主にブタやヤギが考えられている。これは主に臓器のサイズが近いことが理由である。しかし一方妊娠期間も相当に異なる。これは胎児発生のスピードの違いを反映しているので、あまりにサイズの違った動物同士ではキメラ形成がうまくゆかない可能性が考えられていた。実際のデータはこれを裏付けるもので、マウスまたはラットとブタのキメラの作成はできなかったが、一方ヒトとブタのキメラは作成可能であった。そうしたキメラ形成のしやすさは種どうしの系統的近さを反映しているのだろうと述べている。

いずれにしても、おそらく臓器移植のための異種間キメラが実現するとしたら、ブタがその宿主として用いられることになるのだろう。 しかし今回のデータを素直に読むと、移植用臓器の供給源としてこのヒト→ブタキメラを用いるアイデアの実現にはまだまだ道遠しと言わざるを得ない。

研究組織、研究資金

この野心的、かつ大規模(著者37名)な研究プロジェクトがどのようにして実施されたかについて知っておく必要がある。といっても現実的には論文の最後に載っているAuthor contributions(著者の役割)とAcknowledgments(謝辞)の記載から読み取るしかないが。

既に冒頭に書いたように、米国ではヒト細胞を含んだ異種キメラの作成には政府機関から研究補助金の交付が凍結されていた。これが解除されたのは昨年(2,016年)夏である。この論文が投稿された日付をみると、2,016年の2月である。ということは、NIHなど連邦政府の補助がない状態で行われたとみられる。

有蹄類とは要するに家畜だが、これらの研究は畜産学領域でなされている。この研究にもカリフルニア大学デイヴィス校(UCD)の畜産学(Animal Science)のグループが加わっている。Author contributionsにはこのUCDの人々がブタとウシの実験を実施していることが明記されている。一部の細胞培養はマドリードで行われている。全体の研究デザインとヒト細胞の培養は主にソーク研カルフォルニア)で行われたようだ(注6)。

この論文で家畜の実験が行われたソーク研とUCDの研究者への研究補助金を謝辞の記載から拾い上げると、米連邦政府のグラントは記載されていない。そのかわり複数の民間財団からの資金が出ている。私自身はこれらの財団の性質については今のところ把握していないが、ここに大きな問題がある。米国ではNIHなどの政府グラントがなくても独自に資金とポジションを確保すればいかなる研究も”法的には”可能なのだ。

 

(注1)胆嚢を持たない哺乳動物は他にも存在する。例を挙げるとウマがそれにあたる。胆嚢は不規則な摂食行動と関わっているとされる。たまにありついた獲物を消化するために胆汁を一時的に消化管内に放出することが必要だ。その貯蔵場所として胆嚢ができたというわけだ。ウマのように常に草を食べているような動物種には胆嚢は必要ないという解釈である。私自身も胆嚢を摘除しているが、日常生活には全く支障がない。どうやら現代人的生活様式にも胆嚢は不要であるらしい。

(注2)逆の実験(ブタ、ウシ→ヒト胚盤胞)はヒト子宮内に胚移植することが含まれているので人体事件そのものだ。これは到底実施不可能であるし、実施するメリット(目的)が存在しない。

(注3)このヒトPSCの作り方は実験方法のキモの部分だが、残念ながら私は十分に評価できるだけの知識を持ち合わせていない。興味のある方は原文に当たっていただきたい。

(注4)ブタの場合、人工授精(IVF)を行うと多精などの問題が頻繁に起こるので、電場をかけてやることにより単為生殖(parthenogenesis)を開始させてやる。これで胚盤胞を得ている。ウシの胚盤胞IVFにて得られたものを用いている。この際透明帯(zona pellucida)をレーザーによって除去することで胚盤胞の生残性を向上させている。受精後7日後にhiPSCを注入している。

(注5)このような妊娠成立率はブタ一般でどの程度かは元資料に当たっていないのでここでは評価できない。全体のプロセスにおける各ステップの効率は移植用臓器の供給時には大きな問題となるであろう。

(注6)ソーク研の日本人も複数含まれているが、基本的にこの研究グループはスペイン語話者を基本にした人的組織だ。世界的にこうした言語を媒介とした共同研究が盛んに行われている。この点日本は少々不利である。

H7N9、スペイン風邪(1,918年)以来の脅威? 

タイトルがやや刺激的だが、もう一つの新型トリインフルエンザのことだ。

野鳥の渡りのためトリインフルエンザウイルスが伝搬されることを書いた。温帯地方からウイルスが北極圏に北上し、さらにそこから別の温帯地方にウイルスが南下するという形をとる。しかし最近問題とされていたトリウイルスはA/H5N8であった。

ウイルス学者達はこのH5N8型によるヒトのインフルエンザの流行を警戒していたわけだが、前の記事でも書いたが鳥の世界にはありとあらゆるインフルエンザウイルスが存在している。最近中国で大きな問題となっているのはH7N9型によるヒトの感染だ。この型のウイルスが初めて確認されたのは2,013年であったが、最近になって中国でヒトの感染が急増している。1月16日現在、918例がH7N9によるものであることが確認され、そのうち359人が死亡している。きわめて高い致死率である。

これまで家禽の発症例としてはH5N8やH5N6の方がより大きな問題であった。中国では生きた家禽が市場で売買されて各家庭に持ち帰られるが、この習慣がトリのウイルスのヒトへの感染を促進している。今回問題となったH7N9のヒトへの感染も、その他の新型ウイルスの流行と同様、生きた家禽の市場に由来している。既にヒト-ヒト感染が疑われるような感染クラスターが認められるが、今のところその確たる証拠は得られていない。WHO北京事務所によると、これまでのところヒトへの病原性を与えるようなウイルスの遺伝的変異も認められないという。

H7N9はトリにはたいした病原性を示さないが、ヒトには重篤な症状を引き起こす。過去に同様のパターンを示したインフルエンザは1,918年のスペイン風邪(H1N1)のみであるという。このときは世界中で0.5~1億人が死亡している。

このスペン風邪パンデミーは、第一次大戦の戦地での不良な衛生状態と、大量の兵員が大西洋を往復することによって促進されている。このとき世界中の人々はこのウイルスに対する免疫を持っていなかったのだ。現在感染が拡大しているH7N9についても世界中の人々は免疫を持っていない。さらに現在人々の移動は量的、速度的に100年前とは比較にならないほど拡大している。ヒト-ヒト感染能を獲得するような変異が起こったらひとたまりもない。

要警戒だろう。

各国のGM事情

GM遺伝子組み換え)作物(動物)が安全であるためにはどこまでの証拠が必要か?

"Genetic divide"という小さな囲み記事がサイエンス2月10日号に出ている。これはすごく大雑把だがGMOに対する各国の考え方がまとめられていてとても良い。

最初に冒頭の問いに対する答えは、どこに住んでいるか? およびそれが何かによって扱いが違うとする。国によって規制が全く違うということ、それと”食用かどうか”によって規制がかわるということだ。この記事をさらに表にまとめて下に示す。

 

        非食用    食用       

米国      OK     OK

カナダ     OK     OK

中国      OK     OK

インド     OK     ダメ

欧州      ダメ     ダメ

 

米国では綿花、大豆、セイヨウアブラナ(canola)はほぼすべてがGM。加工食品では全体の60-75%がGMを含んでいる。生産者、政府、消費者は概ねGMの安全性を受け入れている。中国は米国とほぼ同等の基準を適用しようとしている。

欧州28カ国は事実上の停止状態(moratorium)となっている。そのうち約3分の2の国々が法的禁止措置を検討中だ。

インドでは全体的には欧州と似たような状況にある。但し、GM綿花はすでに大規模に栽培されている。食用作物の導入に当たっては強い抵抗がある。

この記事では世界の主要農業生産国のみの状況を述べている。さて日本は? 日本は生産、消費とも世界の主要プレーヤーとして認められていないので記事では言及されていないが、GMの安全性は公式には認められれている。しかし反対派による世論形成、あるいは消費者の抵抗感のために国内では栽培されていない。さらには生産者自身がGMを避けようとしている。実際にはGMOから作られた加工食品の多くが輸入されている。

インド、中国のような人口大国ではGM抜きの食料調達には限界があると考えているのだろう。インドでは綿花については既に90%がGMだが、食用作物については2,010年にBt brinjal(殺虫毒素産生能を組み込んだ現地の小型のナス(注1))の認可が頓挫していた。これについては近い将来認可される見込みは立っていない。

昨年GMカラシナBrassica juncea)の安全性試験の結果が揃い、いよいよインドでも食用のGM作物の栽培をスタートさせようとしているが、これもすんなりとは進んでいない。 

 

(注1)熱帯地域でのBt brinjalをめぐる状況についてはしばらく前に書いた

 

グリズリーはなぜ列車にはねられるのか?

NBAメンフィス・グリズリーズMemphis Grizzlies)はなぜグリズリーズなのか? テネシー州西部は平原でグリズリーはいない。答えは簡単で、元のバンクーバー・グリズリーズが移転してきたからだ。今のグリズリーズはそこそこ強いチームだが、カナダ時代の成績はひどいもので、計6シーズンで年間最高勝率は.280!!(だから移転したのだが。)

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グリズリー(grizzly bear、和名はハイイログマ)は北米ロッキー山脈に広く生息する大型動物で、ヒグマの亜種。グリズリーは米国、カナダ両国で保護されているが、カナダでは国立公園内の鉄道線路に出没し、ここ20年間で列車にはねられて死亡する個体が増加していることが問題となっていた。

サイエンス最新号の記事"Why are grizzlies dying on Canada's railway tracks?"はこの原因を追求した話である(注1)。それによると、バンフ国立公園(注2)では2,000年以降17頭のグリズリーが列車にはねられて死んだ。この地域のグリズリーの総数は約60頭なので、この数は無視できない。アルバータ大学の研究者がこの急激な列車事故の増加の理由を追求した。このための費用として鉄道会社が約100万カナダドル(約8,700万円)を負担して、調査は2,012年から2,017年にかけて実施された。

具体的には、線路のカーブや地形のグリズリーの危険認知への影響、さらには各個体の行動をGPSによって追跡することなどが行われた。その結果、わずか6頭が恒常的に線路内に出没していることが判明した。どうやら線路はこの6頭のテリトリーになっているようである。さらに重要なことは、多くの事故がひとつのS字カーブの西側出口で起こっていることがわかった。

さらにトランスカナダハイウエイを跨ぐ野生動物用の陸橋(woldlife overpass)の整備によって、グリズリーが鉄道線路まで行動範囲を拡大したことなども要因として考えられた。カナダの国立公園では高速道路の両側は柵で仕切られていて、野生動物は侵入できない。しかしそれを跨ぐ、あるいは潜るようにして野生動物用の通路が設けられている。下の写真は私が2,013年にバンフ国立公園に行ったときに撮影したものだ。

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(高速沿いに柵が延々と続く。遠景が雄大だ。)

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(数キロおきに橋がかかっている。この上を野生動物が通る。だから高速道路の方が囲われている。)

 

さて研究者らは、グリズリーを線路に誘い出す真犯人を”貨物列車から漏れ落ちる小麦”であると考えている。彼らはこの国立公園内で年間110トンもの穀物が列車から撒かれ、これは50頭もの成グリズリーを養うに十分な量であると見積もる。

これらすべての状況から、研究者らは線路の改善、グリズリーへの警告装置の設置、穀物の脱落の防止、線路を柵で囲うこと、などの改善策を提言している。

 

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(バンフのホテルの土産物売り場。グリズリーが一番人気。)

 

(注1)論文はAnimal Conservationに掲載されているというが、今のところ該当する論文は見当たらない。

(注2)バンフ国立公園はカナダで最初の国立公園。新婚旅行のメッカとして日本では有名だが、最寄り空港はカルガリー国際空港。

がん研究での再現性の大問題

先々週はトランプ氏が新大統領に就任したので一般のメディアは無論これがトップニュースだった。しかしがん研究者にとってはeLifeに出た"Reproducibility in cancer bilogy: Making sense of replications"が無視できない。

再現率は2/5

がん研究の再現性を検証しているのはThe Reproducibility Project: Cancer Biologyというプロジェクトだ。このプロジェクトを遂行している主体はCenter for Open Science(COS、Carlottesville、VA)という非営利団体である(注1)。

ここで取り上げられた論文は2,010年から2,012年に公表された5つで、Cell、Science Translational Medicine、Nature、PNAS、それにScienceといった一流誌に掲載されたものだ。いずれも新たな抗がん剤の候補となりうる化合物、抗体を見出した研究で、この5報の引用回数は計2,500を超えてる。これらの研究内容を再現するべく追試を行ったところ、2つは再現され、1つは再現性は明瞭ではなく、残りの2つは技術的な問題のため再現実験自体がうまくいかなかったというのだ。これら5つの研究はいずれも実験的治療のデータを出しているが、そのうちの幾つかはすでに治験が進行している。それでこれらの元の仕事の再現性については強い関心が持たれていたわけだ。

この再現性が乏しいという結果に対しては二つのタイプの反応があった。一つは医学生物学研究自体の持つ欠陥を反映しているという意見、もう一つはここで取り上げられたような高度な研究はもともと再現するのが難しいという考えだ(注2)。

”再現実験”を検証する:特に研究組織

このeLifeに公表された結果を云々する前に、この”再現実験”がどのようにして行われたかについて知る(および考察する)ことは重要だ。どこで、誰によって、さらにどのようにして行われたかということだ。いわば再現実験自体の評価である。

ことの始まりはBayer社とAmgen社が自社で開発した新薬について、その後の経過を追跡したところ、89%の高率で結果が再現されていないことを報告したことだ。これは文献的検証だった。この報告では詳細が公表されなかったので、2,013年に至り新たに設立されたCOSが新たな検証プロジェクトを立ち上げたのだ。要するにどの薬が”本当に効くのか(または効かないのか)?”を確かめようとするのだ。

COSという組織は再実験を行うための”実働部隊”を持っていないので、今回の検証ではScience Exchange(Palo Alto、CA)という営利企業と提携している(注3)。さらにScience Exchangeは必要な実験を追行可能な機関を探し、実際の業務(実験)を委託しているのだ。

CellやNatureに出たオリジナルの研究ではその分野の最先端にいる研究者たちが刻苦勉励して出したデータが載っている。しかしこの再現実験ではそれらの追試のために”委託業社”が同じことをやっているのだ。このインセンティブにおける差は如何ともしがたいものがあると思われる。実験研究では強いモチべーションは”結果をもぎ取る”ための大事な要素だ。さらに実験者の質についても大きな差がある可能性は高い。実際に最初に列挙された論文の著者らは既にその内容が複数の他の研究室でも再現に成功していると述べている。こうした意味ではアカデミアの内部ではreserach integrityは常に検証されているのだ。

だったらどうしたらよいのか? ここで結論的なこととして何も言えないのがもどかしい。こうした再現実験の必要性は認めるとしても、実際にどのようにして検証実験を行うかについては問題山積と言わざるを得ない。

 

(注1)Center for Open Scienceは2,013年にヴァージニア州に設立された非営利団体。資金を提供しているのはLaura and John Arnold Foundationという財団で、John Arnoldというヘッジファンドマネージャーの資産を基金にしている。この財団の主な活動項目が4つ挙げられているが、research integrityはそのうちの一つだ。research integrityとは”研究の完全性”とでも訳せるか。日本語にするのはとても難しいが、一つの研究がそれ自体として成立していて、訂正されたり否定されたりしない”完全なもの”だということだ。例えば”STAP細胞”の件では当然research integrityは損なわれている。再現性はintegiryを構成するための最重要項目だ。

(注2)前者の意見の例はJohn Ionnidis(Epidemiologist、Stanford UniversityCA)、後者の例は(Charles Sawyer、Memorial Sloan Kettering Cancer Center、NY)。Sawyerはイマティニブ(imatinib)を世に出した立役者の一人。こちらに関しては”身びいき”批判が出るかもしれない。

(注3)Science Exchangeという会社はcontract research organization(CRO、契約研究機関)と呼ばれる企業の範疇に属する。CROは製薬企業やバイオテック企業が自ら必要な実験や試験を実行できないときに、それを代行するような一群の企業だ。Science Exchangeは実際にはこの両者のコーディネーターとして機能している。したがって、このCancer Biologyプロジェクトというのは、プロジェクトの主体からさらに二つ離れたレベルで実験が遂行されている。

CROが米国西海岸に多く所在しているのは偶然ではなく、この地に数多くのベンチャー企業が生まれていることに起因する。これは最初は医学生物学系の分野から起こったが、現在の自動運転車の開発が同様のスタイルをとりつつあるように思う。こちらについてはあまりよく知らないのでこれ以上は書かない。

 

野球選手の時差ボケ

野球選手の時差ボケの研究がPNASに載っている。

よく知られているように、飛行機で東に移動するときと、西に移動するときとでは時差ボケの程度が違う。野球選手に与える時差ボケの影響も、西から東に移動する場合のほうが影響が大きくて、プレーのレベルが低下するというのが要旨だ。これはノースウェスタン大学(シカゴ)の仕事。UCLAの”寿司ネタ”の話とどちらがより価値があるか、評価の分かれるところだが。

北米大陸は広い。

実際合衆国本体(48州)での最大の州はテキサスだが、ここだけでフランスの面積よりも大きい(だからテキサスだけで日本の二倍以上)。初めて米国に来たときに、サンフランシスコ(SF)からボストンに飛び、二泊三日でSFにとんぼ返りした。このときは北米大陸の大きさを事前に考えていなかった。それでヘトヘトに疲れてしまった。所要時間は片道5時間半であった。写真のセントルイス(中部時間)とシアトル(西海岸時間)は時差2時間で飛行時間は4時間弱である。この距離はおよそ東京から台北に行くのに等しい。大リーグ(MLB)で最長の移動距離はボストン(東海岸時間)とサンディエゴ(西海岸時間)の間で約6時間半、時差は3時間である。こちらはだいたい東京ーホーチミン間だ。(もっともこの組み合わせはリーグが違うので毎年組まれるわけではないが。)

北米のメジャースポーツの選手たちは、ナイトゲームが終わった後にそのまま空港に行く。真夜中のチャーター機で次の場所に移動して、着いたらホテルに直行して昼まで寝る。午後にスタジアムに行って夜の試合に備えて準備する。空港の離着陸ラッシュを避けようとすると必然的に夜中のフライトになる。こういうスケジュールでシーズン中は暮らしているのだ。彼ら(それにもっと年上の首脳陣)の体力には驚嘆させられるが、やはり時差の問題は無視できないというのが今回の論文だ。

この研究では1,992年から2,011年までのMLBのデータを分析した。この間計46,535試合が記録されているが、このうち4,919に絞った。これはどちらかのチームが少なくとも二つの時間帯を越えて移動した直後の試合だ。これらの試合における、被ホームラン数、盗塁数、犠牲フライの数を調べた。

結果は東に移動したチームの成績が悪かったのだ。この移動の負荷はホーム・アドヴァンテージを覆すことも度々であった。ホームチームの勝率は全試合では53.9%だったが、東に移動したとき(つまり西から戻ってきたとき)は50.4%であった。面白いのは攻撃面のデータとして、二塁打三塁打、盗塁のいずれもが少なかった。これらはいずれも攻撃的な走塁が要求される。

結果はスポーツファン、特に野球ファンにはとても重要な情報をもたらしたわけだが、同じような研究に取り組んできた研究者からは研究方法に批判の声が上がっている。それは今回の研究が回顧的(retrospective)な方法だけで行われていることによる。そこでは研究自体が最初からデザインされたものではない。

今回紹介したような”研究”は、アマチュアでも十分実施可能なものだと思うが、自分のやっていることが、”立派な研究”として通用するかどうかを知ることは大事である。この研究手法に関する議論についてさらに詳しく知りたい方は、サイエンス誌のニュースを参照されたい。

 

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寿司ネタの半分が間違った名前で出されている

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これはおもしろいニュースだ。ロスアンジェルス(LA)の寿司レストランで出されている寿司のネタの名前が半分ほどが正しくなかったという話。

これはUCLAなどの研究者によって行われた研究でJournal of Conservation Biologyに発表された。代表者はPaul Barberという人物。この人はDepartment of Ecology and Evolutionary Biologyに所属していて、遺伝学的手法を駆使して海洋生物の生態と進化の研究を行っている。この寿司の研究が”海洋生物の生態と進化”にどのような関連があるかはよくわからないが、とりあえず楽しそうだ。

この研究は2,012年から2,015年にかけてLAにある26の寿司レストランで行われた。これらレストランはいずれもYelpやZagatなどのサイトで高い評価を受けている。寿司で用いられる10種(とされる)の魚のサンプルを大学に持ち帰り、ミトコンドリアDNAの一部をPCRで増幅し、配列を決定した。

結果は驚くべきもので、計364検体のうち47%が間違った表示であった。中で最も信頼度の高かったのはクロマグロ(bluefin tuna)でこれは一つも間違いがなかった。サケ(salmon)は約10分の1で間違っていた。オヒョウ(halibut)とキンメダイ(red snapper)に至っては調べた検体の全てが間違いであった。キハダマグロ(yellowfin tuna)も大部分が間違っていて、その多くが実際はメバチ(bigeye tuna)であった。メバチは乱獲のため絶滅危惧種となっている。

一つの店では同じ名前で三つの魚種を供していた。一般的な傾向としては表示している魚よりもより安い(低級な)魚を使っていた。(当然だ。)食品衛生上問題となるのは、似た魚がヒトに感染する寄生虫を持っているケースだ。ヒラメ(olive flounder)はこれにあたる。メバチの場合は高い水銀含有量が問題となる。

ロスアンジェルス郡の公衆衛生担当者は、この研究のことは聞いていたが直ちになんらかの対策をすることは考えていないという。

さてTake-home messageだが、”オヒョウとキンメダイはやめといたほうがいいが、サケは信用できる”となる。 

 

前日にゲノムシークエンシングの話を書いたが、この寿司ネタの場合は単に種の”同定”(探索ではない)なので、PCR→サンガーでよい。安上がりの仕事だ。

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ロスアンジェルス、郊外のファーマーズ・マーケットの海産物)